ラブライブ劇場版 感想・考察(三周目追記)

映画を見ていることを前提に記述する。よって当然ネタバレ有り。

映画を見て、思ったことをつらつらと述べる。各疑問点に対しては、まとめて記述を心がけたが、順番の前後等あるかもしれないこと、ご了承願う。

ちなみに5や6はおまけ。あったらいいなとか、こうかもねを心の命ずるままに書いただけなので。

 

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1.女性シンガーについて

これはもう未来の穂乃果で間違いないと考えてる。どっかで見た共通点一覧がよくまとまってる。俺が気づくまでに至った点、そうであると確信した点は以下

・髪と瞳がほぼ同じ色をしている

・大きな駅の大きなホテル、だけでなく、ホテルの中に大きなシャンデリアという穂乃果にとって印象的だった部分を共通して持っている(現在の穂乃果が持ってるイメージを先取りして示している)

・【ここで気づいた】駅から出て今穂乃果が悩みを打ち明けたら、思わせぶりなセリフで今穂乃果が一歩踏み出すための材料を与えたこと。こういう役割って、大体未来の自分、みたいなのあると思うの

・【確信した点】穂むらに入ろうとしなかったこと。ただ単純に、未来穂乃果の役割は今穂乃果の背中を押すことだから、だと思ってる。他人に見えない問題もなくはないが、おまけみたいなもんだと思う

・もうあとは色々。未来穂乃果だという前提で考えると、冒頭の過去穂乃果が飛ぶときに聞こえた歌も未来穂乃果のエールだったとか。

(2周目注:過去穂乃果が飛んでるときの曲、全然違った。声がロリだったし、合唱風だった。このときの曲の検討全然付かん。ただ、未来穂乃果と今穂乃果の傘の柄が同じなのは確認した)

以上のように、穂乃果にだけ見える幻想未来穂乃果と考えることができるが、一方不自然な点も有り得る。それは、NYで他の客には見えてた、ということ。

ここは俺にとって正直どうでもいい。というのも、客も含めて穂乃果の幻想とすることもできるし、どっかで見た共通点一覧にあるように、”知己との接触を避けていた”といって他人には見えてても良かった、とするのもアリだから。

とにかく、女性シンガーは未来穂乃果。これが俺の確信的な見解。

1.1なんで未来穂乃果の声優はえみつんじゃないの?

これは「4.ラブライブやμ’sのこれからについて」にて。

 

2.μ’s活動停止とラブライブ(スクールアイドル)発展について

そもそも、なぜμ’sのみんなが二期ラストで出した結論を曲げるか否かで揺れたか、その要因を掴む必要がある。それは「自分たちが”おしまいにする”ことでスクールアイドルの活躍に水を差すのではないか」という要素が、μ’sにぶつかってきたからである。

かといって、みんなで決めた結論を変えて、スクールアイドルという枠から外れてまで、活動を続けるのか。いや、それはない。この葛藤だ。

考察に入る。

二期ラストで出た結論は、こう。

μ’sは9人でスクールアイドルのμ’sである→よって3年が欠けたら、スクールアイドルではないしμ’sでもない→活動停止

映画の途中では、これに対立する概念が持ち込まれる。それをコンパクトにして対立させると、こう。

μ’sを続けると、スクールアイドルでなくなる⇔μ’sをやめると、スクールアイドルに悪影響

だが、だがしかし、これは対立か?

μ’sを続けても、やめても、スクールアイドルとμ’sの関係が悪くなるように見えている。本当にこれは対立しているのか?

ここで、未来穂乃果からの助言が出てくる。

つまり、”とべるよ”、飛翔である。ここには色んな意味がこもっていると考えている。μ’sやスクールアイドル、ラブライブの”飛翔”。そして、対立からの”飛翔”。

加えて重要なのは、”スクールアイドルにこだわりたい”、”スクールアイドルは素晴らしい”、”スクールアイドルって楽しい”というスクールアイドルを大事にする考え。

上の対立に縛られたままだとどう転んでもスクールアイドルμ’sは大好きなスクールアイドルμ’sとして良い終わり方を迎えられないように見える。

じゃあ、対立から飛翔してやれ。スクールアイドルは素晴らしい、楽しいということをみんなに伝えればいいのだ。手段はアライズ含めて、みんなでライブをすること。これが伝われば、

スクールアイドルは素晴らしい、楽しい→誰かが欠けたμ’sはμ’sでない(楽しくない)→μ’sはスクールアイドルではなくなる(活動停止)

スクールアイドルは素晴らしい、楽しい→ラブライブの発展→ラブライブに悪影響はない

こんなかんじでうまくいく。だから、みんなでライブをした。

こうだろ。

対立からとぶことで、μ’sメンバーやスクールアイドルがとべるようになる。これを未来穂乃果は伝えに来た。俺はそう考える。

※ほんとは、μ’sにはスクールアイドル・9人の要素が付いてて、9人が否定されるからμ’sも否定、スクールアイドルも否定。だがそれは認められない(わぁ)。だから、9人の要素を否定された段階でμ’sをこれらの要素から解放する(活動停止)ことで、否定の連鎖を断ち切ろうとした、ってことで上手いこと説明したかったが、頭がこんがらがってきたのでやめた。あと”とべるよ”を使ってカッコよく説明したかった。

(二周目追記:μ’s=一瞬の輝きを大事にするアライズ=輝きを続けたい

どっちがいいというわけではない。選択の問題。μ’sは”スクールアイドル”の輝きにこだわった)

3.最後のライブについて

いっちゃん最後のライブは、どこで、どういう立場でやったのか。

これ、俺はラブライブに参加してライブしたとは考えない。

ラブライブに参加するにはスクールアイドルである必要があるから、卒業式終えて、アメリカ行って、みんなでライブして、その上で3/31までにできるとは到底思えない。まぁアレだけの設備やら曲やら用意するのも無理っちゃ無理だけど、そこはまだ予選すっ飛ばしてラブライブに参加するよりはスジが通る。だが、ラブライブに、前回の優勝者で、解散直前の”ゲスト”として、μ’sとして最後のライブをラブライブの発展のためにしたと考えることに無理はない。そう考えても、「ラブライブに参加」ではない。秋葉ドームである可能性はあるが、俺の考えを否定するまでには至らない。

妹達が3年になって語った伝説のラストライブとしても、ラブライブのゲストとして行った最後のライブってなったらカッコいい。

だから、最後のライブ、俺はこう考える。

秋葉ドームで、次に始まるラブライブへのエールを送る立場で、ラストライブをスクールアイドルμ’sとして披露した

素敵やん?

(二周目追記:タクシー内で、にこチームがラブライブがドーム開催されたらにこたちもゲストで招待されるかも!?って発言。おそらくこの通りになったと思う)

(三周目追記:最後のライブをサニデイの直後にやったとは考えられない。確かに穂乃果がサニデイ直前に「このライブで活動を終了します」とは言っていたが、”手作りのライブ”で歩いたところにエフェクトが出るステージを使えるはずがない。サニデイはUTXの助力もあったと考えられるが、最後のライブは絶対無理。ラブライブのゲスト参加だと思われる。つまり、宣言に反した?)

 

4.ラブライブやμ’sのこれからについて

”ラブライブ”という舞台はそのままサンシャインに受け継がれるだろう。その意味では、ラブライブは終わらない。

だが、『ラブライブ!』という作品はここでおしまい。μ’sもそう。今後は『ラブライブ!サンシャイン』が続く。μ’sは、舞台から徐々にフェードアウトしていく。

どうしてこう思うのか。

もちろん、2期のラストや、映画でμ’sがおしまいになることを示したこともある。μ’sを終わりにすることで伝説的なアニメにしたいという意図があるのかもしれない。G’sの読者参加型企画は数年スパンで入れ替わるらしいこともある。

ただ俺はえみつんが続投不可なんじゃないのって考えを捨てられない。5th後に喉故障したって聞いたけど、もっと前からやらかしてて、それで畳む方向に進んだのではないか。勘違いしてほしくないけど、えみつんが悪いと言ってるわけではもちろんない。だが、不安を抱えて、えみつんの故障のリスク抱えてμ’sを無理に推し進めるのはマズイのでは?そういう意図があったように俺には見える。だから、未来穂乃果はえみつん担当ではなかったのではないか?

サンシャインはμ’sが卒業した後の話。俺は、サンシャインで未来穂乃果がサンシャインのリーダーとμ’sのリーダーとして助言をする、と考えてる。そこにえみつんを使うのはマズくないか?と。

当然憶測の域を出ないが。

そしてな、俺はやっぱり、『μ’s』に終わってほしくはない。μ’sのみんなが決めたことなんだから反対するなと言われるのも分かってるが、それでも俺はμ’sが輝いてる姿を見続けたい。でも、スクールアイドルとしてのμ’sは活動停止。アニメ『ラブライブ!』もこれで終わり。これは揺るがない、と思う。揺らいで欲しいが。

(二周目追記:ことりママの「μ’sを続けて欲しい」は、俺の想いの代弁であったように聞こえた)

 

5.「おしまい」「活動停止」

ところで。2期や劇中で、「解散」という言葉が使われただろうか。少なくとも俺は聞いたことがない。「おしまい」とか「活動を停止」とは言ったが。

(二周目注:「活動を停止」ではなく、「活動を終了します」、だった。とはいえ別に最後のライブはしているはずだけど)

これって、辛うじて”音ノ木坂のOGとしてライブをする”余地を残しているのでは?サンシャインで行われることを期待してます。やっぱり、ラブライブといえばμ’s。サンシャインのどこかで、未来穂乃果が出てきて、メンバーをもう一度集めて、ライブをする。泣くわ。

※μ’sのみんなが散り散りになるわけがないから解散ではないというのも、もちろん考えた。でも、こっちのほうが希望があるやん?

※サンシャイン云々は4で書いた考えとおもいっきり矛盾している。それでもμ’sをもっと見続けたいのだ。

 

6.Happy maker!とは何だったのか

2期ラストでかよちんがまだまだ続く!と宣言して、入ったHappy maker!。しかし、劇場版では宣言直後からストーリーが展開され、Happy maker!はなかったことになっている。

順当に考えれば、アニメ『ラブライブ!2期』という作品を完成させるために、宣言に対応した要素を入れた。これである。

ただ俺は穿った見方が大好きだから、アレは二期終了の絶望から自殺やら犯罪やらに走る奴を抑止する目的もあるように思ってる。だってあんなに未来への希望を持たせる歌詞やん?2期で絶望する奴がいてもおかしくないやん?

 

7.感想

まきちゃんのいろんな表情が見られた。1年曲での活き活きと歌うまきちゃん。ストーリーラインが穂乃果の葛藤一辺倒でまきちゃんの出番が少なかったなぁと思いはするが、やっぱりまきちゃんかわいいかきくけこ

のんたんの可愛さも目立った。スノハレヘアーにしてることが結構多くて、しかものんたんらしいぷにぷに感が随所に出てた。

みんなのライブ曲。3、2なんとかかんとか。ピースで跳ねるのは印象に残った。もうちょいアライズの出番増やしてもいいんじゃないのかなとは思った。衣装モブとは違うし。

最後の曲はやってくれたなぁと思ったよ、名前入れるのはほんとに心に来る。9人みんなでμ’sだもんな。μ’sの最後の曲にふさわしい。「ほのかに」でもうわかった。俺にとって示唆的だったのはまきちゃんの「まきもどす」。まきちゃんはMスタでまき戻ってるし、今回の映画も過去・現在・未来で時間の流れがよく表れてるから。ここで「まきもどす」が入ってたから、涙腺に来た。

 

一周目は、ストーリー追ったり、未来穂乃果について考えたり、曲を楽しんだりするのに忙しくて涙がボロボロ出た、とまではいかなかった。

ただ、μ’sが終わる。そのことを念頭に置いてこの映画について想いを馳せると、前半、NYでのシーンが大切な思い出というか、かけがえのない宝物のように思えて、何故か涙が出てしまう。あれかな、終わりに向かってゆく姿は美しい、けれども儚く悲しい。そんな感じなのかな。終わることを示す映画に、日常(NYに行く点では非日常だが、μ’s解散するしないで揉めてるよりは日常)パートを入れることで何度見ても味わいがあるようにしてあるのか。すると、NYパートはひどく悲しい目的のために存在するように思えてならない。みんなの笑顔が、終わりに向かうための布石だったり、味付けになっていると考えると、悲しい。そして、美しい。だから心が動かされる。

(三周目追記:

・穂乃果が絵馬をかけるシーン。CGだったように見える。また、みもりんの絵馬が上にあった?

・2年曲のイントロで海未ちゃんラブアローシュート確認!

・NY曲では「翼をタダの飾りにはしない」ラスト曲では「ことりの翼がついに大きくなって旅立ちの日だよ」もちろんスタダでは「産毛のことりたちもいつか空に羽ばたく」。繋がっているように思えるなぁ

 

8.映画を何周もするということ

もちろん買いまくった前売りの消費という意味もある。

だがそれ以上に、μ’sの終わりをきちんと受け止めることが、それによって果たされるのではないか。μ’sを忘れるのではなく、終わりを受け止める。

0に書き換えるのではなく、1を何度も上書きするように。μ’sの軌跡をなぞるように。

 

9.俺がこの映画から受け取ったメッセージ

ラブライブ全体を捉えると、叶え、みんなの夢─それはそうだろう。

ただ、俺が、この映画というフィルターを通して、ラブライブ全体を見渡したら、違った景色が見えた。

刺さったのは、「スクールアイドルという一瞬の輝き」

輝く一瞬一瞬を大事にしよう。振り返っても、”眩しすぎてよく見えない”くらいに。

ラブライブからしたらかなり後期のHappy maker!やスラスラで感じたことだけど、ファンのみんなにエールを送る、元気を分けるのがこのラブライブだろうと。ラブライブを見たみんなが、一瞬一瞬を大事に、輝いて生きようと思えるように。生きているといろんな汗が出るけれど、頑張ってそれを乗り越えれば素敵なことが起こると思えるように。

こんなメッセージを受け取った。ここしばらくの俺の生き甲斐はラブライブだったけれども、μ’sがおしまいになる今、10人目のメンバーである俺だけが後ろを向いているわけにはゆかない。前を向いて、新しい夢を叶えなきゃ。これからを輝かせるために─

 

 

 

 

 

 

 

 

でもμ’sが続いたら一番うれしいよね。そうなったらこの文章は的はずれな恥ずかしい記録になるけれど、μ’sの笑顔を見られるほうが幸せなのだ。

追記:結局映画館で12回見ました。

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